(前編では近代産業遺産にふれ、軍艦島への上陸するまでをご紹介しました。
今回はいよいよ端島(軍艦島)に上陸します!)
ここ長崎県端島は通称「軍艦島」と呼ばれており、
長崎港から南西に約19km離れた場所にある南北480m、東西160mの
小さな海底炭鉱の島でした。
明治23年(1890)に三菱による本格的な炭鉱操業が操業を開始し、
従業員のための住宅の建築がさかんに行われ、高層鉄筋アパートが次々と林立。
最盛期には5000人ものが暮らしていたと言われています。
昭和30年代後半から日本の近代化によりエネルギー改革が行われ、石炭の採掘が終了。
昭和49年(1974)閉山になり、無人島になりました。
それから現在まで約30年間放置されていた島なのです。
上陸当日は9月に上陸した台風の被害により船を止めるところがなく、
さらに潮が低かったために上陸するのに船先から自分の胸以上の高さもある
岸壁によじ登り、先に到着していた長崎市の職員に引き上げてもらうという、
かなり困難を極めた上陸でした。
やっとの思いで上陸し、自分の目の前に現れた軍艦島の風景は・・・・
廃墟となった建物が立ち並び、瓦礫や木材、捨てられたバイクなどが散らばり、
かなり荒れ果てた状態。まさに「廃墟」な軍艦島に、
ものすごい迫力と同時に恐怖も感じました。
当日はNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本理事長や、
かつて島に住んでいたという市職員の話を聞きながら、
約2時間半をかけて島内を一周しました
島内の建物は、崩れかけ、床が抜けたりしているのは当然で、
さらに建物の基礎まで腐食している状態でした。
危ないので建物の中に入ることは危険なのはもちろん、
廃材などで足の踏み場が無い状態・・・。
もちろん、建物は未だ崩壊を続けております。
しかしながら荒れ果ててはいるが、密集した炭鉱の住宅郡の中には
大正時代に建てられた日本最初の鉄筋高層アパート(30号棟)も
しっかりと形を成して残っていました。
これは建築技術史上においても大変貴重な遺構なのだそう。
もうスゴイとしか言いようが無い状態です。
当時は学校や病院、郵便局や病院、スーパーなど生活に必要な施設が揃い、
映画館やパチンコ屋など娯楽施設までありました。
この狭い島の中だけで十分生活が成り立っていたというから驚きです。
ちなみに大正5年(1916)以降、高層鉄筋アパートが次々と林立し、
あの小さい島の1960年当時の人口密度は東京都の9倍強にも達したそうです。
海外からいらした2人の先生は、「閉山してから30年経ったが、
あれだけ建物が残っているのは驚きだ。廃墟マニアに人気の場所であるが、
軍艦島は世界遺産的価値がある。」と評価。
そして「放置された割には思ったよりもよい状態で残っている。
早急に保存計画を立てるべきだ。」とも話されていました。
しかしながら保存するには、あまりにも規模が大きく、
維持にも莫大な費用がかかるため、管理する長崎市もまだ検討中とのことのようです。
保存や活用の難しさが指摘されているが、世界遺産登録に向けた
「暫定リスト入り」の候補にもなったそう。
将来、この端島(軍艦島)がどのように観光資源として活用されていくのか、
その動向はとても楽しみですし、大いに注目ですね!
おわり
(国内編集部 平澤香織)






