明治10年(1877)の西南戦争で焼失した建物を復元し、
かつての姿に蘇らせようと進められてきた熊本城の復元事業。
その一大事業ともいえる「本丸御殿大広間」の全貌が
2008年4月20日、ついに明らかになります。


みどころは何といっても、外観から内部にいたるまで詳細に再現されたこと。
江戸時代から残る文献や絵図、古写真などあらゆる資料をもとに
徹底調査が行われ復元が進められてきました。
広さは、東西78m、南北31m、高さ14.6m、部屋数25室。
使用された木材は950種約4万本、畳約580枚、瓦約14万枚。
壮大な外観に圧倒され、また一歩足を踏み入れると
細部までこだわり復元された豪華な世界に目を奪われます。
往時の雄姿にまた一歩近づいた熊本城に出かけてみませんか。
築城当時にタイムスリップしたような光景に想像力も膨らみます!
●闇り通路
石垣と石垣の間をまたぐように建てられた
本丸御殿の特異な構造によって出現した地下通路。
「闇(くらが)り通路」と呼ばれるこの地下通路は、
入り口である「闇り御門」から、御殿の玄関にあたる
「式臺之間(しきだいのま)」へと続きます。
このような地下通路を持つ御殿建築はほかに例をみないそうです。
なぜこのような謎めいた造りになったのでしょうか…

●大広間
藩主との対面所であった大広間。
今回復元された中で最大の部屋である「鶴之間」(60畳)から
「梅之間」(35畳)、「櫻之間」(28畳)、「桐之間」(24畳)と続きます。
当時の人の気持ちになって、それぞれの眺めを想像してみるのも
おもしろいかもしれません。
自分だったらどの部屋から、藩主と対面していたのだろう・・・
玄関口にあたる鶴之間から、奥へ続く桐之間にかけて畳の数が減っているのも興味深いところです。
●昭君之間
中国の絶世の美女“王昭君”を題材にした金碧障壁画に囲まれた
本丸御殿で最高格式の部屋とされる「昭君之間(しょうくんのま)」。
藩主の対面所(会見の場)として使用されたと考えられています。
昭君之間とは、「将軍之間(しょうぐんのま)」の言い換えで、
豊臣秀吉の重臣であった加藤清正が、秀吉の子・秀頼を迎えるために
つくったとの説もあるそうです。
はたして真相はいかに…。

天井にも注目!
大広間の奥に続く藩主が家臣と対面する際に座した部屋「若松之間」。
見上げると、大広間とは異なり、四隅が弧を描く折上げ格(ごう)天井に仕上げられています。
これが、一番格式高い部屋「昭君之間」になると、漆塗りの折上げ格天井に。
飾り金具、さらに金箔の上にさまざまな花木が描かれた
60枚の天井画が取り付けられています。


どこを見てもかつての姿を蘇らせた現代の職人技を垣間見ることができます。
是非じっくり巡ってみてください。
◆熊本城公式ホームページ http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/
(きくじ)






